もうライブでその息遣いを感じることも、新曲を聴くことも叶わないという無力感が襲う。あのとき見ておけばよかったという後悔も少なくない。Brian Wilson も João Gilberto も遂に見る機会を失ってしまった。しかし残してくれた音源はこれからも、聴き続けることができる。神様の気まぐれか、Sparklehorse の"Bird Machine"のように、未発表曲がいきなりリリースされ、違う世界線からの贈り物を不意に受け取った感覚に陥ることも嬉しい誤算だ。亡くなった人の時計は止まっても、時間は経過し音楽も物語を紡ぎながら前に進む。COVID-19で亡くなった Adam Schlesinger の Fountains Of Wayne も、2025年に来日を果たした。Heavenly はDr.の Mathew の死により活動を休止。悲しみは癒えることはないが、時を経て2025年に復活するというニュースも楽しみだ。
二度と交わらない線が音楽で交差することもある。2005年、プラネタリウム「暗やみの色」の楽曲を rei harakami が担当し、谷川俊太郎は「闇は光の母」という詩を書き下ろした。その詩を原田郁子が朗読した。rei harakami 没後10年に際して制作された"いまここ" (原田郁子)は会うことが叶わなかった rei harakami と谷川俊太郎が楽曲の中で出会っている(谷川俊太郎も残念ながら鬼籍に入られた)。このことを知って聴いたとき、より一層、切なさが増した。音楽は死者を弔う鎮魂碑にもなる。Homecomings の"torch song"は悲惨な事件への思いを歌った楽曲で『青い鳥よ この歌を運んでくれないか 背伸びじゃ届かないあの場所へ』というフレーズに涙する。