かつての私にとって、「切ない」という気持ちは主に色恋沙汰から生まれる感情だったように思う。
恋愛で悩んでは、aikoや大塚愛ら平成を代表する女性シンガーソングライターのバラードを繰り返し聴いて涙を流したし、同じく悩める女友達と一緒にカラオケでそんな曲を歌っては、まるで自分たちのことを書いた歌詞のようだと勝手に共感したものだ。
その当時は「切ない」気持ちを真正面から受け入れ、とことん浸って、それで乗り越えてきたような気がする。
今は私も30代半ばに入り、生涯のパートナーと落ち着いた暮らしをしている。あの頃のような、毎日心を揺さぶられるような恋愛は卒業した。では、そんな今の私はどんなときに「切ない」と感じ、またその気持ちに対してどう向き合っているだろうか。
ここ数年で「切ない」と感じた瞬間を思い出してみる。
数年勤めた会社を転職で離れることになり、最終出社日に挨拶を終えデスクを片付けて会社から出て、オフィスを見上げた。もうここに来ることも、ここの人たちと一緒に働くこともないのかと、同僚たちの顔を思い浮かべる。これで良かったような、良くなかったような、いややっぱり良かったはず…と、転職することの是非を自問自答するとともに、もう引き返せないということが身に染みて胸がきゅっとした。
私の祖父母は少し前まではいつも仲良く冗談を言い合うおしどり夫婦だった。祖父が肺の病気をしてからというもの、呼吸が苦しいらしくあまり会話も出来なくなった。先日祖父母の家に遊びに行ったとき、祖母は以前と変わらず愛情たっぷりに祖父に話しかけ懸命に介護をしていた。寂しくないはずがないのにみんながいる場では明るく振る舞う祖母から、長年連れ添ったからこその覚悟のようなものを感じた。
この歳になるとライフステージもライフスタイルも人それぞれで、だからこそ、昔はあんなに仲が良かったのに、お互いの歩む道がどんどん離れていくことで疎遠になってしまった友人がたくさんいる。ふとした瞬間に、そうした友人のSNS投稿を見つけては、幸せそうに暮らしていて何よりだという気持ちと、きっともう会うことはないのだろうなという気持ちが入り混じる。大人ってそういうもんだよなあ、と思っている自分もいるし、あえてそう思おうとしている自分もいるような気がする。
こうして３つほど書き出してみると、今の私にとっての「切ない」とは、「時の流れを感じる」ことに近いのかもしれない。そして今の私は、こういった瞬間に気持ちを乗せて浸ったりするのではなく、あえてあまり深く考えずに、素知らぬふりをしてやり過ごしてきたように思う。
その瞬間の気持ちに浸るということは、即ちその瞬間に留まるということで、大人になった今は常に前に進んでいなくちゃならないような気がするからだ。
けれど、そうやってやり過ごす時はいつも、心の中にいる素直な自分を置き去りにしているような、そんな自分に後ろ髪を引かれて足取りが重くなってきているような感覚がある。
本当は、大人になった私も「切ない」気持ちに立ち止まって、浸りたかったんだと思う。
今日は、今日こそは、せっかくこうして自分の中の「切ない」気持ちに目を向けられたのだから、このまま昔のように浸ってみようと思う。
悲しい、寂しい、恋しい、苦しい、辛い、「切ない」にはたくさんの感情が詰まっている。素直な自分の感情にじっくり向き合ってみよう。
そうしたらきっと、もっと足取りが軽くなるような気がする。もっと前に進める気がする。
大人になった私だからこその音楽をかけて、好きなお酒でも飲みながら浸ってみよう。
こんな時には、少し苦味がありながら、包み込んでくれるやさしさのあるビールが似合う。
あなたも「切ない」気持ちに浸るなら、お供にどうぞ。
01.東京ホワイト（Far Yeast Brewing）
フルーティーで旨みもありつつ、すっきりやさしい飲み口。
02.ホワイトエール（木内酒造）
やわらかな味わいの中に、スパイスやハーブの香りを感じる。
03.一期一会（京都醸造）
柑橘のような爽やかな香りと、白葡萄のような華やかな香り。
プレイリスト(Spotify）
文・セレクター: Yuka Saitoh(ソムリエ)
